-
MINIRIN®を発売
TIMELINES oninMINIRIN®は、フェリングが発売した抗利尿ホルモン剤であり、当初は尿崩症の治療薬として使用されていましたが、後に原発性夜尿症の治療に用いられるようになりました。MINIRIN®は、ほどなくフェリングの製品ポートフォリオで最も重要な製品となりました。
0 -
事業拡大
TIMELINES oninポールセン博士とスタッフが合成ペプチドホルモン(バソプレシンとオキシトシン)の工業規模での生産に成功したことがフェリングの重要なブレークスルーとなり、フェリングは世界の製薬業界で事業展開する最初の企業の1つとなりました。 フェリングは、バソプレシンを世界規模で生産する唯一の企業となり、このホルモンの構造に手を加えたものがMINIRIN®の基礎となりました。MINIRIN®は、その後フェリングの主力製品となりました。
-
事業拡大
TIMELINES oninフェリングは、それまでの賃貸施設から、マルメにある最初の自社所有工場へ移転しました。社の成長にともない、ドイツやデンマークに新たな会社を設立していきましたが、ポールセン博士は祖母の教えを守り、事業拡大の資金を借り入れることはありませんでした。
-
ルーツを社名に
TIMELINES oninフレデリック・ポールセン博士が社名をフェリングに変更しました。博士が社名を変更したのには実用的で合理的な理由がありました。博士はできるだけ多くの国でわかりやすく発音しやすい社名にしたいと考えたのです。 博士が「フェリング」という名称を選んだのは、非常に個人的な理由からでした。「フェリング」はフリジア語でフェール島民を意味する言葉であり、博士が自身の出身地であるフェール島に対して強い愛着を持っていたことを示しています。
-
フェリングの土台づくり
TIMELINES oninこの年の春、ノルディスク・ホルモンラボラトリー(Nordiske Hormonlaboratorie)社は、スウェーデンのマルメにある60 m2の古い賃貸工場で、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の生産を開始しました。このACTHは、現地のブタの下垂体に由来するものでした。ブタの下垂体はほかの家畜よりACTHが豊富であり、また、同地域の養豚場がよく整備されていたことが功を奏しました。 ストックホルムでファルマシアとオルガノンに勤務し、ほかのペプチドホルモンについて経験があったエバ・フランドセン(Eva Frandsen)が、これと同じ生産設備をパートナーらとコペンハーゲンに前年立ち上げ、生産を主導しました。ほどなく、ヘルマー・ハグスタム(Helmer Hagstam)がフランドセンのサポートをするようになりました。ハグスタムは後にフェリングの生産・技術部長を長年勤めました。 医薬品市場におけるACTHと副腎皮質ホルモンの登場は、抗免疫療法(antimmune therapy)の始まりであり、抗免疫疾患(antimmune disease)の治療に新たな可能性をもたらしました。その結果、ACTHの臨床開発研究が進み、新たな適応症が着実に追加されていきました。ポールセン博士はこの取り組みを主導し、長年にわたってスウェーデンの医師らとの間に築いてきた良好な関係をその取り組みに活かしました。
-
フェリングの土台づくり
TIMELINES oninフレデリック・ポールセン博士とエバ・フランドセンが、フェリングの前身となる「ノルディスク・ホルモンラボラトリー」社を立ち上げました。同社は、ホルモンの生産や化学・生理学的研究、そしてそれらの医薬品への応用に取り組む、ホルモンに注力した北欧企業となることを目指していました。 ポールセン博士は、ルンド大学薬理学研究所の助教授となり、そこで薬理・臨床に関する問題やマーケティングについて助言を行っていました。数年後、博士は同社を率いる首脳に就任し、同社の業務に専念することとなりました。
TIMELINES
TIMELINES